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ゲーム作りに関するあれこれ

ゲーム作りにおいて、プレイヤーにして欲しい体験を定義することの重要さを整理する

ゲーム作りにおいてとても大切で、案外忘れがちなものに、プレイヤーにして欲しい体験を考える、ということがある。

 

前提として、プレイヤーは体験を得るためにゲームを買っており、ゲームはその体験をユーザーに提供する装置であることを考える。

 

体験の例を出すと、格闘ゲームプレイヤーは、手に汗握る刹那の駆け引きや、競り勝った時の高揚感、RPGゲームプレイヤーは、キャラクターを育てている時の成長感や、物語を読んだときの満足感などがある。プレイヤーはこれらの彼らにとってポジティブな体験を得るためにゲームをプレイしており、ゲームプレイそのものはその体験を得るために行う儀式の様なものである。

 

この様なコンテンツによって体験を得る、ということは別段ゲームに限った話ではなく、巷に溢れる様々な商業活動にみて取ることとができる。映画で感動する、ジェットコースターでスリルを感じる、スカイツリーで展望台に上りその高さを味わう、なども体験を求めて行動を起こす例である。

 

ゲーム作りの話に戻る

 

体験を得るということがプレイヤーの目的であり、それを提供するのがゲームであれば、ゲーム作りの方針はいかプレイヤーに求められている体験を提供するか、という話に近づいていく

 

つまり、プレイヤーが求めている体験を定義し、それを適切に提供できれば、面白いゲームができるというわけである。逆に面白くないゲームは、プレイヤーが求めている体験がうまく定義できていない、もしくは体験を適切に提供できていないということになる。

体験の定義に関してはプレイヤーとの相性問題もある。作り手がこの様な体験をして欲しいと作成したゲームが、彼らの求めるのではなかった場合だ。鉄の拳で逼迫した対戦の駆け引きを楽しみたい人が動物が跋扈する村で借金返済をしても求める体験が得られないのは自明だろう。このときはプレイヤーはNot for me、作り手はNot for youの精神で喧嘩せずにやっていきたい。

 

ここで面白いゲームを作るためには求めらる体験の定義、その体験の提供が重要だと主張したが、では効果的な体験の定義、提供をするためにはどうすれば良いかを、今後細々と考えてまとめていきたいと思う。